「生きていたくない」との奮闘記

生きることに前向きになれない人の手記

【手記】心療内科に初診予約待ちを断られた話

  • 明確な理由があってもなくても、とにかく精神的にしんどい思いをしている
  • 診察を受けたいけど、なかなか診てもらいたいクリニックがない
  • 行きたいクリニックを見つけても、受け入れてもらえなかった

この記事は、上記のような悩みでモヤモヤをしている方に向けて、藁にも縋る思いで頼ったクリニックに予約を断られた私の体験談を共有することで、少しでも心のしこりが緩和されれば良いと思い書き記します。

昨年後半から、久しぶりに精神状態がかなり悪化した

昨年の9月あたりに仕事の合わなさからか、普段あまり考えないようにしている無力感や生きていることへの虚しさが前面に上がってくるようになっていました。それでも何とか気分転換や自己暗示してあまり考え込まないように、悪化しないように努めたものの効果はあまりなく悪化の一途を辿ることに…。年末には約2年ぶりに過呼吸や「生きていることが辛い」という思いに押しつぶされてしまい仕事もままならなくなりました。

数年ぶりに病院への受診を決意

私は過去このような状態になったことは何度かありますが、ずっと落ち込んでることもあれば、株価のように波があり少し浮上できることもあります。傾向としては後者の方が多く、今回も浮上できる時はあったため、その時にクリニック探しを行いました。

以前通院を余儀なくされた時に、調べた限り一番可能性を感じたクリニックがありました。ただ、その時は新規予約を停止していたため別のクリニックに頼ることになりましたが、今回改めて調べると順番待ち予約制度が導入されていたのです。勿論すぐにでも診察をお願いしたいほど辛い状態ではあるけれど、過去すぐに予約できることを重視した際に医師と合わず悪化した経験もあるため、今回は数か月待ってでも根本的治療も見据えて一度診てもらおうと決意。

希死念慮がある方は専門外」と断られる

予約したい旨を伝え、その際症状や何を解決したいのかについても事前問診のように割と詳しく伝えました。私の持っている症状は別記事で書き記しますが、その中で希死念慮の傾向が着目されたことで「専門外のため予約を取れない」と断られる結果となってしまいました。

断る理由は、理解も納得もできる

助けを求めたいと思えたクリニックなだけあって、断られたとはいえ対応は可能な限り真摯なものでした。言い方や声色もかなり気を付けていらっしゃることも伝わってきました。専門外と判断する患者を無制限に受け入れていては、確実に救える人を逃してしまうことになることも理解できています。取捨選択をできるクリニックだから評判が良いということもあるのだと思います。

ハード的な側面でも、法律的なキャパシティーの問題だったり、クリニックの予約枠は主に再診患者で多くのリソースが使われ、初診には多くの時間を使うため真剣な医師ほど枠は少ないことも知っています。今回も含め、今まで医療に頼ることを考えた時に何度も何度も病院側の事情もリサーチしたからです。

それでも「自分は救われない」という事実には変わりない

それでも、そのクリニックは日本の精神系治療に後ろ向きな考えを持っている私が、最後の砦としてかけてみようと思ったところだっただけに、どうしてもショックは大きいものです。辛うじて客観視もできる状態のため「ここにご縁がなかったなら、やはり今医療に頼れない、できるだけ孤独にもがこう」と諦めることができていますが、正直1時間くらいは全身が鉛になったように動けませんでした。もうすこし状態が悪ければ、数日は寝込んでいたかもしれません。

私の希死念慮はまだまだ軽度で、今困っている本質ではない

そもそも私の希死念慮は実際に救急車で運ばれるような自殺未遂を起こしたりするものではないのです。別記事でも詳しく書く予定ですが、精神的な辛さを自分への痛みで具現化して逃れようする傾向があり、暴力が高じて死なない程度に首を絞めたり呼吸を限界まで止めてみる模擬行動の域を出ません。苦しくなると生存本能が勝ちますし、しんどくてしんどくて自分をコントロールしきれない状態でも、どこか冷静に観察している自分も常にいる状態なのです。

また、落ち着いている時期は数年に渡り行動自体しなくて済んだりして「別に前向きになったわけじゃないけど、そこまで自分で追い詰めることはもうないのかな」なんて思ったりしています。

伝えたいことが伝わらなかったのかもしれない、もどかしさ

もちろん上記も併せて伝えましたし、希死念慮への治療を希望するというより今仕事のストレスがきっかけでネガティブな連鎖を断ち切れない状態をどうにかしたい!というのが目下お願いしたい治療内容でした。

ただ、上辺のことだけどうにかしても、根本的に生へ後ろ向きなことには変わりないし、その自分を割り切ることも改善することもできない限り似たようなことを繰り返す予感しかしません。だから、一個一個解決するために協力をお願いしたかった。

こうして文字に起こすと、やはり残念な気持ちが捨てきれません。違う言い方をしていれば受け入れてもらえたかな?何をどうすれば希望は叶ったのだろう?どういう言い回しでも、結局専門外で無理だったのかな…という思考ループはしばらく続きそうです。パラレルワールドでは診察してもらえてたかもしれないとなると、やっぱり悔しさがありますが、過ぎたことはどうにもなりません。

それでいうと、クリニックからお断りされた時に使われた言葉も、こちらが伝えきれなかったようなカッコ書きはあるのかもしれません。「かもしれない思考」が多い私ですが、この件に関してはあまり思い浮かばないものの、物事の大半は自分の見える世界・推察できる範囲にはおさまりきらないものなので、何かあるのかもしれません。

他責思考だけど、こうしてほしかったなと思うこと

根に持つとか、わざわざ直接改善要求をしたいなんてことはないのですが、こうだったらよかったなという思いがあります。それは、一見専門外だと思ってももう少し可能性を探ってほしかったなという思いです。

勿論病院や医師の方針はそれぞれだし、「断る理由は、理解も納得もできる」の小見出しで書いたとおり優先すべきことは全然あるのはわかっています。

それでも自分本位に言ってしまうと、ワードひとつ、傾向ひとつで専門外としてしまうことは悲しいなと思います。「伝えたいことが伝わらなかったのかもしれない、もどかしさ」で書いた通り、私の症状は希死念慮ひとつをピックアップするような単純なものではありません。もう少し「こういう場合なら診察できるかも」「ここまでなら診察できるかも」を探ってくれても良かったんじゃないかなって思わずにはいられません。

自分ができたかもしれないこと

同時に、電話口で「もうすこし診察の可能性を探ってくれないか」と伝えられなかった自分にも、もちろん余地はあると思っています。

その場で聞いてみようかと思わなかった訳ではなく、「断られた衝撃に加えて、ここで食い下がって、仮に良い方向に転がらなかったら強いストレスを受けるから、それはハイリスクすぎる」と判断したので敢えて言いませんでした。

でも、もしかしたら伝えていれば真摯に対応してくださったかもしれません。

というか、もう一度そのように相談してみることもやろうと思えばできますが…今の状態ではちょっと難しいのでやはり今回は諦めます。精神状態がある程度整っている時に振り返ると「ごちゃごちゃ考えずに相談しておけば良かったのにな」って思うのかもしれませんが、今無理と感じるなら無理なのだと割り切ります。

治療を受けられないなら、一つずつ自分を割り切っていくしかないんですよね。まぁ、それはわかっていても自分ひとりじゃ限界を感じたから受診を検討したんですけどね。

さいごに

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

貴方の経験やモヤモヤと少しでも重なったでしょうか。新しい発見や思考の整理に役立っていれば嬉しいです。

私はこれまで、チャレンジングでアクティブになることがあったり、そこまでではなくとも少しは前向きな気持ちになったり、どうでもよくなって日々をなんとなく消費したり、マクロな思考に囚われたり、哲学的になったり、苦しくてしんどくて何もかもから逃れたいと思ったり、とジェットコースターのように何度も何度も繰り返してきています。強くもなりきれず、弱すぎて守られる訳でもない中途半端な存在です。

おそらくこの先も、生きている限り何度も同じことを繰り返していくのだと思います。そう考えると、今回は頼ろうとしてみたものの、正直精神的な医療に根本的な意味や価値があるのかわからなくなってきます。仮に診療で劇的に何かが改善したとして、それが正解とは限らない…とも思います。診療科問わず誤診されれば逆に悪化する危険性を孕むのが医療ですし、そういった意味でも病院へ行こうと行動するタイミングは中々に難しいものがあります。それでも結局、苦しさが大きくなった時には考えうる選択肢のひとつであることには変わりありません。

この記事はあくまでも似たような悩みを抱えている方の緩和剤となればと書き記しましたが、医療側の方にも読まれて、日本の精神疾患やカウンセリング治療への体制整備に何かしらの良い影響が出ることを心より祈っています。